第一〇飛行師団編合

 米第二一爆撃集団司令官ヘイウッド・ハンセン准将は昭和二十年一月二十日に 更迭され、後任には第二〇爆撃集団(後に第二一爆撃集団に吸収)司令官として成都を起点とした 北九州への空襲を指揮していたカーチス・ルメイ少将が任じられた。カーチス・ルメイ少将は 日本の家屋に対しては焼夷弾による無差別爆撃が有効であるとの持論を持っていたが、着任後暫くは 前任者の高々度精密爆撃を踏襲していた。それが焼夷弾による中低高度無差別爆撃に転換したのは 硫黄島が陥落してここからP−51戦闘機の護衛が付くようになってからである。 特に三月九十日から十日にかけての東京大空襲では10万人の犠牲者が出た。防衛総司令官は 三月十六日に飛行第四および第五戦隊(両戦闘、二式複戦)を第一〇飛行師団長指揮下に配属したが、 東京に対する大規模な夜間空襲はなく、名古屋・大阪・神戸が同様の爆撃を受けたため、 両戦隊は原所属に復帰した。  第一〇飛行師団は大陸命第第一二九八号(昭和二十年四月八日)により第一航空軍戦闘序列に 編入された。ただし防空に関する作戦に関しては第一二方面軍(東部)司令官の指揮下に置かれた。

昭和二十年五月三十一日
第一〇飛行師団司令部(師団長:近藤兼利中将26)
   飛行第一八戦隊(戦闘)
   飛行第二三戦隊(戦闘)
   飛行第二八戦隊(司偵)
   飛行第五三戦隊(戦闘)
   飛行第七〇戦隊(戦闘)
   第四六航空地区司令部
      第三飛行場大隊、第六飛行場大隊、第七飛行場大隊、
      第四三飛行場大隊、第一一六飛行場大隊、第一四〇飛行場大隊、
      第一四一飛行場大隊、第二四四飛行場大隊、
      第六五飛行場中隊
   第二五野戦飛行場設定隊、第二六野戦飛行場設定隊
 

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Last Update 2010/01/25