第一〇飛行師団編合

 昭和二十五月までに東京・横浜は殆ど焼き尽くされた。六月になってからは 名古屋・静岡・豊橋等が焼夷弾爆撃の目標とされた。名古屋以外の地方都市に は高射砲部隊配置は手薄で爆撃の阻止は不可能だった。 第一〇飛行師団は防空作戦に関して第一総軍司令官の指揮下にあったが、大陸命第一三五九号 (昭和二十年六月二十八日)により航空総軍司令官指揮下に復帰した。航空総軍は B−29重爆撃機を捕捉・殲滅するために「制号」作戦を 発動したが、この時点で米軍空襲の力点はB−29重爆撃機から艦載機に移っており 意図したほどの戦果は挙がらなかった。第一〇飛行師団編合では、昭和二十年軍令 陸甲第一〇三号(昭和二十年七月十日)により飛行第第二八戦隊(司偵)が 第二八独立飛行隊(司偵)に改変され、航空総軍司令官直属となった。

昭和二十年八月十五日
第一〇飛行師団司令部(師団長:近藤兼利中将26)
   飛行第一八戦隊(戦闘)
   飛行第二三戦隊(戦闘)
   飛行第五三戦隊(戦闘)
   飛行第七〇戦隊(戦闘)
   第四六航空地区司令部
      第三飛行場大隊、第六飛行場大隊、第七飛行場大隊、
      第四三飛行場大隊、第一一六飛行場大隊、第一四〇飛行場大隊、
      第一四一飛行場大隊、第二四四飛行場大隊、
      第六五飛行場中隊
   第二五野戦飛行場設定隊、第二六野戦飛行場設定隊

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Last Update 2009/12/05