第一二飛行師団編合

 北九州地区防空を担任する第一九飛行団は大陸命第一〇六七号(昭和十九年七月十七日)により 第一二飛行師団に昇格し、防衛総司令官の隷下に編入された。既に八幡製鉄所は昭和十九年六月十六日未明 成都を前進基地とした米第二〇爆撃集団(司令官;ケネス・ウォルフェ准将。七月にカーチス・ルメイ少将 に交代)のB−29重爆撃機による空襲を受けていた。 編合内の飛行第四戦隊は編制内に飛行場大隊を有していたが、昭和十八年軍令陸甲第一二一号(昭和十八年十二月二十七日) によりこれを第四飛行場大隊として分離した。 なお、師団長職は親補職で中将が任じられるが、第一二飛行師団のように少将が統率する 場合は、職名は「師団長心得」(師団長代行)となる。  捷号作戦に伴う比島航空戦に際しては大陸命第一一六八号(昭和十九年十月三十一日)により 飛行第七一戦隊(戦闘)が派遣された。〔大陸指二三六五号(昭和二十年一月十五日)により 原所属復帰〕 この頃の第一二飛行師団の編制人員は陸軍省兵務局兵備課の調査で10、042名 (昭和十九年九月十七日調。 内訳は兵科9、463名、各部529名。他に軍属70名)であった。

昭和十九年十月三十一日
第一二飛行師団司令部(師団長心得:三好康之少将31)
   独立飛行第一九中隊(司偵)
   飛行第四戦隊(戦闘)
   飛行第五九戦隊(戦闘)
   飛行第七一戦隊(戦闘)
   飛行第一〇七戦隊(防空、重爆)
   第四一航空地区司令部
      第四飛行場大隊、第六四飛行場大隊、第六五飛行場大隊、
      第一四二飛行場大隊、第一四六飛行場大隊、第一六二飛行場大隊、
      第一七二飛行場大隊、第一七三飛行場大隊、第一七四飛行場大隊
      第二四八飛行場大隊、
      第五七飛行場中隊
   第一九航空通信聯隊
   第六対空無線隊、第七対空無線隊、第一四対空無線隊
   第二航測聯隊ノ1中隊
   第二七野戦飛行場設定隊、第三〇野戦飛行場設定隊、
   第一五一野戦飛行場設定隊、第一五二野戦飛行場設定隊

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Last Update 2010/06/05