第一二飛行師団編合

 マリアナの米第二一爆撃集団(司令官;カーチス・ルメイ少将)のB−29重爆撃機 が九州を空襲するようになるのは昭和二十年四月からである。沖縄戦が激しくなるにつれ、 四月から五月にかけては南九州の飛行場が目標とされた。各飛行場では分散隠蔽が行われていたので B−29重爆撃機の空襲による被害はそれ程大きくなかった。米軍もB−29重爆撃機を このような戦術任務に当てる非効率さを悟り、その任務を沖縄に基地を置く第五航空軍、 第七航空軍に割り当てた。第一二飛行師団は戦闘司令所を福岡に前進して防空にあたった。 第一二飛行師団は大陸命第第一二九八号(昭和二十年四月八日)により 第六航空軍戦闘序列に編入された。ただし防空に関する作戦に関しては第一六方面軍 (西部)司令官の指揮下に置かれた。

昭和二十年五月三十一日
第一二飛行師団司令部(師団長心得:土生秀治少将31)
   独立飛行第八三中隊(戦闘)
   飛行第四戦隊(戦闘)
   飛行第五九戦隊(戦闘)
   飛行第七一戦隊(戦闘)
   第五一航空地区司令部
      第四飛行場大隊、第六四飛行場大隊、第六五飛行場大隊、
      第一六二飛行場大隊、第一七二飛行場大隊、第一七三飛行場大隊、
      第一七四飛行場大隊、第一九三飛行場大隊、第一九四飛行場大隊、
      第二三五飛行場大隊、第二三六飛行場大隊、第二四八飛行場大隊

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Last Update 2010/01/25