第一二飛行師団編合

 昭和二十年六月になるとB−29の爆撃目標は中小都市に移っていった。 また、三月に引き続いて五月には関門海峡を中心とした海域に機雷投下が行われた。 米軍はこれを「飢餓作戦」と名付け、11,820基(内関門海峡に49,90基)の機雷を投下した。 使用された機雷は磁気・音響・水圧に反応する沈底感応機雷で、日本海軍の技術では 掃海は困難だった。主要水路・港湾は機雷封鎖され、海軍艦艇12万トン、内航船102万トンが 撃沈された。輸送船舶に関して言えば太平洋戦争中の喪失量843万トンの実に1/8を機雷に より失い、国内船舶輸送は壊滅した。
 第一二飛行師団は防空作戦に関して第二総軍司令官の指揮下にあったが、 大陸命第一三五九号(昭和二十年六月二十八日)により航空総軍司令官指揮下に復帰した。 。航空総軍はB−29重爆撃機を捕捉・殲滅するために「制号」作戦を 発動したが、この時点で米軍空襲の力点はB−29重爆撃機から艦載機に移っており 意図したほどの戦果は挙がらなかった。第一二飛行師団編合では独立飛行第八三中隊(戦闘) 昭和二十年軍令陸甲第一〇三号(昭和二十年七月十日)により復帰した。 また飛行第五九戦隊(戦闘)は大陸命第一三六六号(昭和二十年七月十八日)により 航空総軍直属の第三〇戦闘飛行集団編合に編入された。

昭和二十年八月十五日
第一二飛行師団司令部(師団長心得:土生秀治少将31)
   飛行第四戦隊(戦闘)
   飛行第四七戦隊(戦闘) 飛行第四七戦隊ハ
大陸命第一三六六号
(昭和二十年七月十八日)
ニテ飛行第五九戦隊ト
交代
   飛行第七一戦隊(戦闘)
   第五一航空地区司令部
      第四飛行場大隊、第六四飛行場大隊、第六五飛行場大隊、
      第一六二飛行場大隊、第一七二飛行場大隊、第一七三飛行場大隊、
      第一七四飛行場大隊、第一九三飛行場大隊、第一九四飛行場大隊、
      第二三五飛行場大隊、第二三六飛行場大隊、第二四八飛行場大隊

Home

© 2009-2018 MJQ
Last Update 2009/12/05