第三飛行師団編合

 大陸命六五三号(昭和十七年七月十日) により第三飛行師団の編合が令されて 支那派遣軍の戦闘序列に編入された。 南方攻略時中国大陸は第一飛行団が担任していたが、 第三飛行師団はこれを編合して任務を引き継いだ。遡って四月十八日のドゥリットルの本土 初空襲に衝撃を受けた中央は「せ号」航空作戦および「せ号」作戦により中支・南支の飛行場 覆滅を図った。「せ号」航空作戦では第一飛行団が中支の、第二三軍司令官の指揮下に配属された 航空部隊が南支の飛行場に対して航空攻撃を行った。また「せ号」作戦では第一三軍・第一一軍が 浙江省の飛行場を一時占領した。
 支那事変当時米国は中立の立場から正規軍を中国に入れることはできず、義勇飛行隊の形 で蒋介石政権を支援した。この義勇飛行隊がクレア・シェンノート退役大尉に率いられた 「フライング・タイガース」であったが、米国が日本と戦争状態に入った以上義勇飛行隊という 体裁をとる必要は無くなり、七月に部隊は在支米航空軍(CATF)に発展した。 第三飛行師団が編成されたのはCATF第一〇航空軍が根拠地を義勇飛行隊時代の昆明から南支に移して 対日反攻に移ろうとする時機であった。これに対して第三飛行師団は八月中旬に第一飛行団を 広東に前進させて南支のCATF根拠飛行場(桂林・零陵・衝陽等)に対する攻撃を 行った。
   【中国要図】

昭和十七年八月三十一日
第三飛行師団司令部(師団長:中薗盛孝中将24)
   独立飛行第一八中隊(司偵)
   独立飛行第八三中隊(軍偵)
   第一飛行団司令部(団長:今西六郎少将27)
      独立飛行第一〇中隊(戦闘)
      飛行第一六戦隊(軽爆)
      飛行第九〇戦隊(軽爆)
   飛行第四四戦隊(偵察)
   飛行第五四戦隊(戦闘)
   第八直協飛行隊
   第三航空地区司令部、第五航空地区司令部、
   第一六航空地区司令部
      第一八飛行場大隊(軽爆)、第五七飛行場大隊(偵察)、
      第九一飛行場大隊(軽爆)、第九六飛行場大隊(重爆)、
      第一飛行場中隊(戦闘)、第二飛行場中隊(偵察)、
      第六飛行場大隊(軽爆)、第六七飛行場中隊(戦闘)、
      第六九飛行場中隊(司偵)、第八六飛行場中隊(軍偵)
   第一五航空通信隊
   第一五野戦航空廠
   第二三航空分廠
   支那派遣軍気象隊
   兵站自動車第一三中隊、兵站自動車第六四中隊、
   兵站自動車第九二中隊

Page Top

Home

© 2009-2017 MJQ
Last Update 2010/01/24