第四航空軍戦闘序列

 第八方面軍の配置はラエに第五一師団、その150km(直線)後方のマダンに軍司令部と第二〇師団、 その西210km(直線)のウェアクに第四一師団であった。ブナ地区で力攻めをして大きな損害を出した米豪軍 は以降、前記3拠点の間隙の防衛空白地帯を制圧して各個撃破を行う方針に転換した。まず昭和十八年九月 四日ラエとフィンシュハーヘンとの間のホポイに豪第九歩兵師団が上陸して第五一師団の退路を断った。 第四航空軍はこれに対して攻撃を行ったが八月十七日の大損害から立ち直っておらず、投入できる戦力にも 限りがあった。 ラエ北西のナザブ平原に空挺降下した米第五〇三空挺聯隊等とに挟撃された第五一師団は軍命令により標高 4000mのサルワケット山越えでマダン方面に退却した。この間、第四航空軍司令部は九月二十日に ウェアクに前進した。この時点で第四航空軍の実動機は89機にまで落ち込んでいた。 米豪軍の次の目標はラバウルのあるニューブリテン島との連絡路のフィンシュハーヘンであった。 九月二十二日豪第九歩兵師団の一部がフィンシュハーヘン北方のアント岬に上陸し、十月二日には フィンシュハーヘンを確保した。これに対して第四航空軍は充分な支援を与えることができず、フィンシュハーヘン 奪還の任務を帯びた第二〇師団は第五一師団残存兵力が守備する西方のキアリに撤退した。
  現地がこのように苦闘する中、昭和十八年九月三十日の御前会議で決定された「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」 により「帝国戦争遂行上太平洋及印度洋方面ニ於テ絶対確保スヘキ要域」が絶対国防圏として設定された。 東部ニューギニアはその外郭地域として大陸命第八五五号および大陸指第一六五二号(昭和十八年九月三十日)により 持久に転ずることを令された。その要はフィンシュハーヘンを突端とするフォン半島の持久であった。 第四航空軍は可能な限りこれに協力した。東部ニューギニアの戦いの重要局面は昭和十九年一月二日の米第三二歩兵師団による フォン半島付け根のグンビ岬への上陸である。グンビ岬はキアリとマダンとの間、マダン寄りにある。これにより第二〇師団・ 第五一師団残存兵力はマダンとの連絡を絶たれ孤立してしまい、第一八軍は組織的抵抗が不可能になってしまった。 この状況を打開すべく大本営は増援の飛行部隊を第二方面軍司令官指揮下に置いて第八方面軍司令官(実質的には第六飛行師団長) の区処下でマダン付近への連合軍上陸作戦を阻止しようとした。
   【ニューギニア要図】 

昭和十九年二月二十九日
第四航空軍司令部(司令官:寺本熊市中将22)
   第六飛行師団
   第七飛行師団
   独立飛行第二〇中隊(輸送)
   第一四飛行団司令部(団長:徳永賢治大佐33)
      飛行第六八戦隊(戦闘)
      飛行第七八戦隊(戦闘)
   飛行第二八戦隊(司偵)ノ1中隊
   第七輸送飛行隊本部(隊長:菅野邦助少佐35)
      第一一輸送飛行中隊、第一二輸送飛行中隊
   関東軍第一航空写真隊
   第一八航空地区司令部
   第二航空通信聯隊ノ有無線各1中隊、第五通信聯隊
   第四航空情報聯隊
   第六航測隊
   第一航空路部
   第一二野戦気象聯隊
   第一四野戦航空修理廠
   第一七船舶航空廠
   第一四野戦航空補給廠
   白城子陸軍飛行学校材料廠第二〇九分廠
   第一三野戦飛行場設定隊
   陸上勤務第八六中隊
   建築勤務第三一中隊、建築勤務第五二中隊
 

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Last Update 2011/01/10