第五飛行師団編合

 大陸命六五三号(昭和十七年七月十日) により第五飛行師団の編合が令されて 南方軍の戦闘序列に編入され、緬甸方面を担任した。地上戦は有利に進められ四月二十九日 のラシオ陥落により援蒋ルートの1本であったビルマ公路(ラングーン→ラシオ→昆明)は 遮断された。ビルマ公路の遮断により援蒋ルートは印度アッサム州チンスキヤ飛行場から ヒマラヤ山脈鞍部を越えた大理を経由して昆明に至るハンプ空路のみとなった。 以後の緬甸での戦いは援蒋ルートの回復とそれの阻止の戦いと見ることができる。第五飛行師団は次期作戦 (対印度航空侵攻)準備と共にラングーン防空・輸送船団護衛にあたった。
   【ビルマ要図】

昭和十七年八月三十一日
第五飛行師団司令部(師団長:小畑英良中将23)
   第四飛行団司令部(団長:中西良介少将28)
      飛行第八戦隊(司偵、軽爆)
      飛行第一四戦隊(重爆)
      飛行第五〇戦隊(戦闘)
   第七飛行団司令部(団長:山本健児少将28)
      飛行第一二戦隊(重爆)
      飛行第六四戦隊(戦闘)
      飛行第八一戦隊(司偵)ノ1中隊
      飛行第九八戦隊(重爆)
   第一航空地区司令部、第七航空地区司令部、第一五航空地区司令部
      第一五飛行場大隊(戦闘)、第一七飛行場大隊(重爆)、
      第二三飛行場大隊(重爆)、第二七飛行場大隊(軽爆)、
      第八二飛行場大隊(司偵)、第九二飛行場大隊(重爆)、
      第九四飛行場大隊(戦闘)、
      第五飛行場中隊(戦闘)、第七飛行場中隊(重爆)、
      第九飛行場中隊(重爆)、第一二飛行場中隊(軽爆)
   第一航空通信聯隊 昭和十七年軍令陸乙第一四号ニヨリ
「航空通信第○聯隊」ハ
「第○航空通信聯隊」ニ改称
   第一六航空情報隊
   第一七航測隊
   第四野戦飛行場設定隊、第五野戦飛行場設定隊、
   第七野戦飛行場設定隊、第八野戦飛行場設定隊
   高射砲第二〇聯隊
   野戦高射砲第三三大隊(乙)、野戦高射砲第三六大隊(乙)
   独立自動車第二八〇中隊、独立自動車第二八一中隊
   兵站自動車第八六中隊
   陸上勤務第六七中隊、陸上勤務第六九中隊、
   陸上勤務第八〇中隊、陸上勤務第八一中隊
   築勤務第四八中隊

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Last Update 2010/01/25