第五飛行師団編合

 昭和十八年九月八日イタリアは連合軍に降伏し三国同盟から離脱した。 これにより英軍の南西方面への反攻の気配が濃厚になった。反攻の策源地となるカルカッタ に対する陸海軍協同の空襲が十二月五日に実施された。使用兵力は第五飛行師団および 海軍第二三・第二八(ノ一部)航空戦隊の約130機で商船・艦艇および倉庫に損害を 与えたが、戦力の不足から反復性に欠けていた。逆に言えば援蒋ルートの起点である カルカッタへの空襲を継続できればその維持に大きな打撃を与えられた筈である。 残念ながら陸海軍航空隊とも、それだけの戦力の余裕が無かった。 また緬甸沿岸部防衛のため大陸命第九一五号(昭和十九年一月十五日)により第二八軍戦闘序列が令された。
 連合軍の反攻は印度遠征軍(開戦後の第一五軍の緬甸侵攻に対して蒋介石が送り込んだ中国軍のうち 印度に逃れて米軍式訓練を受けた中国軍新編第一軍基幹。兵力4、000)によりアッサム州レド (インパールの北北東150km強)を発起点として道路(レド公路)を建設しつつ南東方向に指向された。 最終目的は緬甸北部での旧ビルマ公路との接続で、第一目標は雨季までの要衝ミイトキーナの奪還である。 ここの飛行場を中継点にすることによりハンプ空路の輸送量を増大させることができる。そのために 4インチ送油管を敷設しながらの進撃であった。インパール攻略作戦の準備に追われていた 緬甸方面軍はこれに対して第一八師団に防衛を命じた。  一方第三航空軍は大陸命第九一二号(昭和十八年十二月二十八日)により戦闘序列の更改を行った。 第三航空軍から移ってきた第八三独立飛行隊は昭和十八年軍令陸甲第二四号(昭和十八年二月二十二日) によりは復帰し、飛行第八三戦隊(司偵)に改変された。
   【ビルマ要図】

昭和十九年二月二十九日
第五飛行師団司令部(師団長:田副登中将26)
   第五飛行師団司令部空地連絡中隊
   第四飛行団司令部(団長:桑塚城大佐33)
      飛行第八戦隊(司偵、軽爆)
      飛行第五〇戦隊(戦闘)
   第七飛行団司令部(団長:穐田弘志大佐36)
      飛行第一二戦隊(重爆)
      飛行第六四戦隊(戦闘)
      飛行第八一戦隊(司偵)(欠1中隊)
   飛行第八三戦隊(司偵)
   第一航空地区司令部、第七航空地区司令部、第一五航空地区司令部
      第一五飛行場大隊、第一七飛行場大隊、第一九飛行場大隊、
      第二三飛行場大隊、第二四飛行場大隊、第二七飛行場大隊、
      第三四飛行場大隊、第五二飛行場大隊、第八二飛行場大隊、
      第八四飛行場大隊、第九二飛行場大隊、第九四飛行場大隊、
      第五飛行場中隊、第九飛行場中隊、第一二飛行場中隊、
      第一六飛行場中隊、第一七飛行場中隊、第一八飛行場中隊、
      第三八飛行場中隊、第八五飛行場中隊
   第一航空通信聯隊
   第二航空情報聯隊
   第一七航測隊
   第七野戦飛行場設定隊、第八野戦飛行場設定隊
   高射砲第二〇聯隊
   野戦高射砲第三三大隊(乙)、野戦高射砲第三六大隊(乙)
   独立自動車第三五中隊、独立自動車第二七五中隊、独立自動車第二八〇中隊、
   独立自動車第二八一中隊
   兵站自動車第八六中隊、兵站自動車第一六七中隊、兵站自動車第一八四中隊
   陸上勤務第六七中隊、陸上勤務第六八中隊、陸上勤務第八〇中隊
   築勤務第六二中隊

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Last Update 2010/01/25