第五飛行師団編合

 イラワジ河を渡河した英印軍第四軍団は要衝メイクテーラに向けて急進した。 緬甸方面軍司令部は「盤」作戦に際して第二師団をメイクテーラ付近に配置して予備とする 心算であったが、同師団は「明号処理」(在仏印仏軍の反日行動を武力により事前制圧) のため南方軍命令により抽出され、メイクテーラ付近に有力な戦力は存在しなかった。 既に中央は印度支那・泰国・馬来を最重要防衛地域とする方針に転換し、 緬甸はその外郭としての地位に転落していた。この第二師団の抽出はその象徴であった。 英印軍第四軍団は二月二十六日西飛行場に到達し、早くも三月三日にはメイクテーラ市街 を制圧した。メイクテーラ奪還が企図されたが、主力の第一八・第四九師団の攻撃は連携を欠き 多大の損失を出したため奪還は断念された。第四軍団はラングーンまでの約350kmを突進し、 五月三日にラングーンに突入した。 緬甸方面軍司令官木村兵太郎中将20は既に四月二十三日に200km後方のモールメルンに 脱出していた。第五飛行師団はメイクテーラ陥落直後、軸足を泰国・仏印に移して戦闘を継続すべく 司令部をプノンペンに移していた。
   【ビルマ要図】

昭和二十年五月三十一日
第五飛行師団司令部(師団長:服部武士中将27)
   第五飛行師団司令部空地連絡中隊
   第四飛行団司令部(団長:辻本隼三中佐39)
      飛行第八戦隊(司偵、軽爆)
      飛行第五〇戦隊(戦闘)
      飛行第六四戦隊(戦闘)
      飛行第八一戦隊(司偵)(欠1中隊)
   第一航空地区司令部、第七航空地区司令部、第一五航空地区司令部
      第一五飛行場大隊、第一七飛行場大隊、第一九飛行場大隊、
      第二三飛行場大隊、第二四飛行場大隊、第二七飛行場大隊、
      第三四飛行場大隊、第五二飛行場大隊、第七五飛行場大隊、
      第七八飛行場大隊、第八一飛行場大隊、第八二飛行場大隊、
      第八四飛行場大隊、第八五飛行場大隊、第九〇飛行場大隊、
      第九二飛行場大隊、第九四飛行場大隊、
      第五飛行場中隊、第九飛行場中隊、第一二飛行場中隊、
      第一六飛行場中隊、第一七飛行場中隊、第一八飛行場中隊、
      第三八飛行場中隊、第八五飛行場中隊
   第二航空情報聯隊
   第七野戦飛行場設定隊、第八野戦飛行場設定隊
   高射砲第二〇聯隊
   野戦高射砲第三三大隊(乙)、野戦高射砲第三六大隊(乙)
   独立自動車第三五中隊、独立自動車第二七五中隊、独立自動車第二八〇中隊、
   独立自動車第二八一中隊
   兵站自動車第八六中隊、兵站自動車第一六七中隊、兵站自動車第一八四中隊
   陸上勤務第六七中隊、陸上勤務第六八中隊、陸上勤務第八〇中隊
   築勤務第六二中隊

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Last Update 2010/03/20