第六飛行師団編合

 アント岬の豪第九歩兵師団上陸に際して第六飛行師団は主力をマダン北西のアレキシス飛行場に推進した。 任務は第二〇師団の支援(対地攻撃、糧食投下)であったが戦力の消耗と共にウェアクに帰還した。 第七飛行師団司令部がアンボン島リアンに後退した〔第七飛行師団は大陸命第八八二号(昭和十八年十月三十日) により第二方面軍の指揮下への配属が令されていた〕後のニューギニア戦線は第六飛行団だけで支えなければならなかった。 その任務は地上支援、対艦攻撃、輸送船団掩護等と多岐にわたった。 マダン付近の作戦を行うため、大陸命第九二二号(昭和十九年一月二十七日)および大陸命第九二五号(昭和十九年 一月三十一日)により以下の部隊が増援として第二方面軍司令官指揮下(第六飛行師団長区処下)に置かれた。
      第八飛行団司令部    〔第九飛行師団より。軍隊区分により第四航空軍直轄に配属〕
      飛行第三三戦隊(戦闘) 〔第九飛行師団より。軍隊区分により第四航空軍直轄に配属〕
      飛行第六〇戦隊(重爆) 〔第九飛行師団より。軍隊区分により第四航空軍直轄に配属〕
      飛行第七七戦隊(戦闘) 〔第三航空軍より。 軍隊区分により第四航空軍直轄に配属〕
      飛行第四五戦隊(襲撃) 〔第一四軍直属航空部隊より。軍隊区分により第六飛行師団に配属〕
米軍は昭和十九年二月二十九日に第一騎兵師団がアドミラルティ諸島への上陸を開始した。アドミラルティ諸島攻略の後 マダン付近への本格的上陸があるか判断の難しいところがあり、アドミラルティ諸島への航空支援は徹底したものでは なかった。根拠地であるウェアクも連日空襲に曝されて増援された部隊も徐々に消耗していき、大本営が意図した航空戦力の 集中運用はできなかった。これらの増援部隊は大陸命第九八六号(昭和十九年四月十日)にて「戦力回復の上、原所属への 復帰」を命ぜられたが、消耗尽くしており飛行第七七戦隊は帰還できず昭和十九年軍令陸甲第九三号(昭和十九年 七月二十五日)により第六飛行師団司令部と共に現地復帰(解隊)したほどである。
   【ニューギニア要図】

昭和十九年二月二十九日
第六飛行師団司令部(師団長:板花義一中将23)
   独立飛行第八三中隊(軍偵)
   第三〇飛行団司令部(団長:森玉徳光大佐27)
      飛行第二〇八戦隊(軽爆)
昭和十九年軍令陸甲第二四号
(昭和十九年二月二十二日)
ニテ
白城子陸軍飛行学校教導飛行団ヲ称変
   飛行第一〇戦隊(司偵)
   飛行第三四戦隊(軽爆)
   飛行第六三戦隊(戦闘)
   飛行第二四八戦隊(戦闘)
   第一二航空地区司令部、第三〇空地区司令部
      第二一飛行場大隊、第二二飛行場大隊、
      第二五飛行場大隊、第四七飛行場大隊、
      第四八飛行場大隊、第五一飛行場大隊、
      第二〇九飛行場大隊、
      第二二飛行場中隊、第二三飛行場中隊、
      第二四飛行場中隊、第二五飛行場中隊、
      第二六飛行場中隊、第八六飛行場中隊
      第三三飛行場中隊
第三〇空地区司令部ハ
昭和十九年軍令陸甲第二四号
(昭和十九年二月二十二日)
ニテ
白城子陸軍飛行学校教導航空地区司令部ヲ称変
   第五野戦飛行場設定隊、第六野戦飛行場設定隊、
   第一〇野戦飛行場設定隊、第一一野戦飛行場設定隊
   陸上勤務第七三中隊、陸上勤務第八一中隊
   第八師団第九陸上輸卒隊

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Last Update 2012/05/15