第六飛行師団編合

 第六飛行師団は昭和十九年三月二十六日に司令部をホーランジアに後退させて持久を図った。 米軍の反攻は迅速で、三月三十・三十一日の空襲により第六飛行師団は多数の損害を蒙った。 米軍は四月二十二日に第二一・第四一歩兵師団がホーランジアに、第三二歩兵師団基幹がその東方のアイタペ に上陸を開始した。先の空襲で大きな被害を受けた第六飛行師団残存部隊は200km西方のサルミまで を踏破して五月末には第二軍の第三六師団(五月十七日にサルミに上陸した米第六・第三一歩兵師団等と戦闘中) に収容された。 六月には大本営は壊滅状態となった第六飛行師団の再建を不可能と判断した。第六飛行師団司令部 要員はマニラまで後退していたが、第六飛行師団は大陸命第一一〇五号(昭和十九年八月十九日)により編合を解かれ、 隷下部隊の大部分は第一八軍(ニューギニア担任)戦闘序列に編入された。
   【ニューギニア要図】

昭和十九年六月三十日
第六飛行師団司令部(師団長心得:稲田正純少将27) 昭和十九年軍令陸甲第九三号
(昭和十九年七月二十五日)
ニテ復帰
   独立飛行第八三中隊(軍偵)
   第三〇飛行団司令部(団長:森玉徳光大佐27)
      飛行第二〇八戦隊(軽爆)
   飛行第一〇戦隊(司偵) 大陸命第一〇四四号
(昭和十九年七月一日)
ニテ第一航空軍編組ニ編入
   飛行第三四戦隊(軽爆) 昭和十九年軍令陸甲第九三号
(昭和十九年七月二十五日)
ニテ復帰
   飛行第六三戦隊(戦闘)
   飛行第二四八戦隊(戦闘)
   第一二航空地区司令部、第三〇空地区司令部
      第二一飛行場大隊、第二二飛行場大隊、
      第二五飛行場大隊、第四七飛行場大隊、
      第四八飛行場大隊、第五一飛行場大隊、
      第二〇九飛行場大隊、
      第二二飛行場中隊、第二三飛行場中隊、
      第二四飛行場中隊、第二六飛行場中隊、
      第八六飛行場中隊、第三三飛行場中隊
   第五野戦飛行場設定隊、第六野戦飛行場設定隊、
   第一〇野戦飛行場設定隊、第一一野戦飛行場設定隊
   陸上勤務第七三中隊、陸上勤務第八一中隊
   第八師団第九陸上輸卒隊

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Last Update 2012/05/15