第八飛行師団編合

 捷一号作戦に伴う飛行部隊の比島集中の中継点である台湾では第八飛行師団が 屏東に前進した航空路司令官山中繁茂中将26の機動統制に第一〇四教育飛行団長・第六教育飛行隊長・ 第九教育飛行隊長を屏東・台中・嘉義の飛行場司令官に任じる等して協力を行った。 航空路司令官は兵站総監隷下で中央航空路部(本土・朝鮮・台湾)を隷下に、南方航空路部 (南方軍総司令官隷下)・第三航空路部(支那派遣軍総司令官隷下)・第四航空路部(関東軍 総司令官隷下)を区処下に置いて飛行部隊の比島集中の機動統制を行った。また機動中の飛行部隊 を支援するために大陸命第一一四六号(昭和十九年十月六日)にて第五野戦航空修理廠・第五野戦航空補給廠 が第一〇方面軍戦闘序列に編入された。第五野戦航空修理廠には昭和十九年軍令陸甲第一三四号 (昭和十九年十月二日)にて太刀洗陸軍航空廠・屏東陸軍航空廠で編成された以下の独立整備隊が 所属していた。独立整備隊は整備対象機種毎に編成され、編制定員は172名である。
     第一一三独立整備隊(四式戦)、第一一五独立整備隊(四式戦)、第一一八独立整備隊(一式戦)、
     第一二五独立整備隊(二式単戦)、第一三四独立整備隊(三式戦)、第一四二独立整備隊(九九式襲)、
     第一四五独立整備隊(九九式双軽)、 第一四九独立整備隊(九七式重)
 レイテ島上陸に先立って米第三八任務群(司令官;マーク・ミッチャー中将)に対して海軍の「T部隊」 (米軍が航空機を運用できず上空が無防備となる夜間や悪天候の時を狙って攻撃を行う精鋭部隊)の挙げた戦果は 「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻撃沈破」という過大なもので、比島決戦における我が軍の 情勢判断にに大きな影響を与えた。 第一航空軍隷下の飛行第九八戦隊(重爆)は大陸命第一〇八〇号(昭和十九年七月二十二日)により 連合艦隊司令長官指揮下に配属され雷撃訓練を行っていたが、この「T部隊」に組み込まれていた。

昭和十九年十月三十一日
第八飛行師団司令部(師団長:山本健児中将28)
   独立飛行第二三中隊(戦闘)
   独立飛行第四二六中隊(対潜)
   独立飛行第四三中隊(対潜)
   独立飛行第四六中隊(対潜)
   第二五飛行団司令部(団長:福沢丈夫中佐34)
      飛行第三戦隊(軽爆)
      飛行第二〇戦隊(戦闘)
      飛行第六七戦隊(襲撃)
   飛行第一〇戦隊(司偵) 大陸命第一一二八号
(昭和十九年九月十三日)
ニテ第一航空軍編組ヨリ編入
   飛行第一四戦隊(重爆)
   飛行第二九戦隊(戦闘)
   飛行第六七戦隊(襲撃)
   飛行第一〇八戦隊(輸送)
   第二〇六独立飛行隊本部(隊長:蓑毛松次中佐34)
      独立飛行第四七中隊(対潜)
      独立飛行第四八中隊(対潜)
      独立飛行第四九中隊(対潜)
   第一〇四教育飛行団司令部(団長:星駒太郎少将31)
      第六教育飛行隊(戦闘)
      第八教育飛行隊(戦闘)
      第九教育飛行隊(重爆)
      第二〇教育飛行隊(戦闘)
      第二一教育飛行隊(戦闘)
      第二二教育飛行隊(戦闘)
      第三錬成飛行隊(戦闘)
      第一〇航空教育隊
   第三八航空地区司令部、第三九航空地区司令部
   第四二航空地区司令部
      第一三八飛行場大隊、第一三九飛行場大隊、
      第一五六飛行場大隊、第一五七飛行場大隊、
      第六一飛行場中隊、第六二飛行場中隊、
      第六三飛行場中隊、第六四飛行場中隊
   第二航空通信聯隊ノ無線1中隊
   第一六航空通信隊

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Last Update 2011/01/10