第八飛行師団編合

 比島航空戦もたけなわの頃、第八飛行師団からは大陸命第一一六七号(昭和十九年十一月六日) により飛行第二九戦隊(戦闘)が比島に派遣された。〔大陸指第二三五六号(昭和二十年一月十五日)にて 原所属に復帰〕 この他第一・第一〇・第一一・第一二飛行師団からも増援が行われたが航空戦は我が軍の不利のうちに 推移した。 捷号作戦の敗勢が明らかになった昭和二十年一月二十日に策定された「帝国陸海軍作戦計画大綱」 は国軍創設以来初めての陸海軍協同作戦計画であった。「大綱」と同時に「東支那海周辺地域ニ於ケル航空作戦指導要領」 により「天号」作戦が示達された。この時点で米軍との航空戦力差は挽回できないものと なっており、正則の攻撃の他に特別攻撃に大きな期待がかけられた。特別攻撃のための「と号」部隊は 第八飛行師団で14隊編成が予定され、米軍の台湾来寇に対応した「天二号」作戦時には他方面から13隊が 台湾に投入される計画であった。「と号」部隊の編制は単発機の場合1隊12機、双発機の場合1隊9機であった。  この頃の第八飛行師団の編制人員は陸軍省兵務局兵備課の調査で16、297名(昭二十年一月三十一日調。 内訳は兵科13、207名、各部3、090名。他に軍属50名)であった。

  
昭和二十年二月二十八日
第八飛行師団司令部(師団長:山本健児中将28)
   独立飛行第二三中隊(戦闘)
   独立飛行第四六中隊(対潜)
   独立飛行第四七中隊(対潜)
   独立飛行第四八中隊(対潜)
   独立飛行第四九中隊(対潜)
   第九飛行団司令部(団長:柳本栄喜大佐34)
      飛行第三戦隊(軽爆)
      飛行第二〇戦隊(戦闘)
      飛行第六七戦隊(襲撃)
   第二二飛行団司令部(団長:佐藤猛夫中佐38)
      飛行第一七戦隊(戦闘)
      飛行第一九戦隊(戦闘)
   飛行第一〇戦隊(司偵)
   飛行第一四戦隊(重爆)
   飛行第二九戦隊(戦闘)
   飛行第一〇五戦隊(戦闘)
   飛行第一〇八戦隊(輸送)
   第三八航空地区司令部、第三九航空地区司令部、
   第四二航空地区司令部、第五二航空地区司令部、
   第五三航空地区司令部
      第五八飛行場大隊、第一一二飛行場大隊、第一三八飛行場大隊、
      第一三九飛行場大隊、第一五六飛行場大隊、第一五七飛行場大隊、
      第一五八飛行場大隊、第一八七飛行場大隊、第一八八飛行場大隊、
      第三飛行場中隊、第五九飛行場中隊、第六〇飛行場中隊、
      第六一飛行場中隊、第六二飛行場中隊、第六三飛行場中隊、
      第六四飛行場中隊、第七三飛行場中隊、第七四飛行場中隊
   第二航空通信聯隊ノ無線1中隊
   第一六航空通信隊、第二一航空通信隊
   第七対空無線隊、第二六対空無線隊、第六二対空無線隊、
   第八一対空無線隊
   第八航空特種通信隊
   第九航測隊
   第一五一独立整備隊(一式戦)、第一五八独立整備隊(四式戦)、
   第一五九独立整備隊(四式戦)、第一九二独立整備隊(キ一〇二乙)、
   第一九三独立整備隊(四式重)、第三〇七独立整備隊(一〇〇式司偵)

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Last Update 2011/01/10