関特演時の師団編制

関特演時の師団編制


関特演(関東軍特別演習)の動員業務は以下のように二段階に分けて行われた。

   ■第一〇一次動員(特臨編第一号)
       動員下令: 七月七日
       動員第1日: 七月十三日
       動員完結: 七月十七日〜二十四日
   ■第一〇二次動員(特臨編第二号・第三号・第四号)
       動員下令: 七月十六日
       動員第1日: 七月二十八日
       動員完結: 七月三十日〜八月八日

在満の11個師団は以下の特臨編で動員された。
   ◇特臨編第二号(動員第1日は七月二十八日)
       第一四師団(野砲)
   ◇特臨編第三号(動員第1日は七月二十一日)
      第一、第一〇、第一二、第二四師団(各野砲)
      第九、第一一、第二五、第二八師団(各山砲)
      第二三師団(機械化)
   ◇特臨編第三号(動員第1日は七月二十八日)
      第八師団(野砲)

また、朝鮮では
      第二〇師団(野砲)
      第一九師団(山砲)
に、内地では
      第五一、第五七師団(各野砲)
に動員が掛かった。

この頃の師団の編制は大きく以下の三種類に分類される。

野砲師団(輓馬編制師団)
山砲師団(駄馬編制師団)
機械化師団(自動車編制師団)


関特演で動員された師団の編制を以下に示す。
「編制」の欄の表番号は昭和十五年軍令陸甲第五五号「昭和十六年度陸軍動員計画令」(昭和十五年十一月二十二日) の附表番号である。


【野砲師団(輓馬編制師団)】

野砲師団(輓馬編制師団)は捜索聯隊の1個中隊は軽装甲車、同聯隊の2個中隊と輜重兵聯隊の1個大隊(3個中隊)が 自動車(自動貨車)編制であった。 内地で動員された第五一、第五七師団の場合は歩兵聯隊、野砲兵聯隊、輜重兵聯隊の編制が在満の師団のものと異なった。

Page Top




【山砲師団(駄馬編制師団)】

山砲師団(駄馬編制師団)は密林・湿地等の錯雑地で作戦するため砲兵聯隊は山砲を装備したが、これは火力において野砲に劣った。 装備は駄馬による駄載となるが、これは歩兵聯隊でも同様であった。また、山砲師団には原則として捜索聯隊の代わりに騎兵聯隊が配置された。

Page Top


【山砲師団(駄馬/一部輓馬編制師団)】

第二八師団は山砲師団であるが、歩兵聯隊と輜重兵聯隊とは野砲師団と同じ編制になっている。 また山砲兵聯隊は装備している36門のうち12門が「山地十榴」と呼ばれる九九式十糎山砲であり、通常の山砲師団より 重火力であった。

Page Top

【機械化師団(自動車編制師団)】

第二三師団は陸軍唯一の機械化師団(自動車編制師団)であった。 ただし自動車化されているのは捜索聯隊・野砲兵聯隊・輜重聯隊のみで、歩兵聯隊は輓馬編制であった。

Page Top



対ソ作戦で満州国防衛に必要とされる16個師団の最後の師団、第二九師団は昭和十六年軍令陸甲第七号(昭和十六年二月二十五日) により編成を令されていたが、関特演発動に伴い昭和一六年軍令陸甲第四五号「第二九師団臨時編成要領」(昭和十六年七月二十二日) により応急編成された。したがって一部部隊の人員は定員を満たしていない。
第二九師団を構成する3個歩兵聯隊のうち、歩兵第三八・五〇聯隊は令甲7(S16.2.25)により編制改正を完結していたが、 四単位制師団である第三師団から抽出予定の第二九歩兵団司令部・歩兵第一八聯隊は同師団が大陸本土での戦闘に拘束されていたため身動きができず、 第二九師団に編合されたのは昭和十七年になってからであった。(したがって第二九師団は2個歩兵聯隊態勢で開戦を迎えた)
第二九師団の編制を以下に示す。



Menu

Home


© 2009-2018 MJQ
Last Update 2012/09/05