船舶飛行第二中隊


船舶飛行第二中隊(対潜)は世界的にも珍しい、オートジャイロを使用機とした飛行部隊である。大戦末期にごく短期間、船団護衛・対潜哨戒にあたった。 本部隊は船舶部隊に所属していたので厳密には本サイトの対象範囲から外れるが、極めて興味深いので掲載することにした。

オートジャイロは大正十二年一月十七日にスペインのファン・ド・ラ・シェルパにより初飛行が行われた。回転翼の回転により揚力を得て浮揚するのはヘリコプターと同じであるが、 オートジャイロの回転翼は動力源を持っていない。すなわちオートジャイロは牽引式のプロペラにより機体が前進する際に生ずる気流により回転翼が自転して揚力を発生するのである。 要するに何らかの手段により機体を前進させて、回転翼に空気の流れを当てて自転させてやれば機体は浮揚する。ドイツ海軍ではUボートが牽引することにより浮揚するフォッケ・アハゲリス Fa330「バッハシュテルツェ」 (オートジャイロからプロペラ・駆動機構を取り除いた、最もシンプルな「回転翼凧」)が上空からの周辺海域の監視に使用された。 オートジャイロはヘリコプターに比べれば構造が簡単なので、戦前には英国のアヴロ社や米国のケレット社により商用化の努力がなされた。 日本ではアヴロ社のシェルパC19を海軍と朝日新聞社とが購入した。

陸軍では、気球によって弾着観測を行っていた砲兵部隊がオートジャイロに注目して実用化を目指した。通常の航空部隊ではなく砲兵部隊からの要求ということで、兵器行政側も陸軍航空本部ではなく陸軍技術本部が 開発を主導した。陸軍技術本部は陸軍航空本部が戦前研究用に米国ケレット社から購入したものの破損していたKD−1Aを譲り受け、これに基づいての試作を萱場製作所(機体)と神戸製鋼所製(発動機と駆動機構)とに命じた。 航空本部の主管ではないのでキ番号は与えれられず、開発機は「カ号観測機」(後に「オ号観測機」)と呼ばれた。

カ号二型観測機

カ号二型観測機


国産オートジャイロは昭和十八年始めに完成し試験飛行も成功したが、厳しい戦局は弾着観測用のオートジャイロの飛行を許さなくなっていた。 このような情勢の中、陸軍特殊船「あきつ丸」を母船として「オ号観測機」を対潜哨戒に使用する構想が浮上した。「あきつ丸」での運用の可否を探るため昭和十九年六月に同船での発着船試験が行われた。


オ号(カ号)観測機
後半「あきつ丸」での発着船試験に使用されていたのはケレット社製KD−1Aである。
また静止姿勢にあるオートジャイロで回転翼が回転しているのはクラッチの断続操作により動力を与え、回転翼が回転する「きっかけ」を作るためである。 回転翼の回転が安定したところでクラッチを切って滑走を始める。


下図は全通甲板を装備する改装を行う前の陸軍特殊船「あきつ丸」である。オートジャイロの「あきつ丸」での離着船試験はこの状態で行われた。 試験を行った操縦者は「フネの後部にマストがあるので船尾から直線進入できず、着船は難しかった。」と証言している。このマストは「航空母船」への 改装時に撤去されている。


あきつ丸

あきつ丸(改装前)−船尾より見る


「オ号観測機」の「あきつ丸」での運用は一旦決まったものの生産の遅延等のため、別途編成された独立飛行第一中隊(対潜;使用機は三式連絡機)が「あきつ丸」に搭載されて対潜哨戒を行うことになった。 「あきつ丸」はこのため昭和十九年四月から七月にかけて全通甲板の装備・着船関係装備の増設等の改装を行い、八月には三式連絡機の発着船試験にも成功した。 独立飛行第一中隊を搭載した「あきつ丸」は八月から十一月にかけて朝鮮海峡で対潜哨戒勤務に就いた。 しかし米潜水艦による輸送船の不足は深刻を極め、「あきつ丸」も対潜哨戒任務を解かれて輸送船に用途変更され、十一月九日に門司に戻った。 ヒ81船団中の一隻として第二三師団歩兵第六四聯隊・海上挺進第二〇戦隊等を輸送するために、十一月十四日には伊万里を出帆するという慌しさだった。 ヒ81船団は出帆直後から米潜水艦の追尾を受け、「あきつ丸」は十一月十五日に五島列島沖で雷撃により沈没し、総員2、576名中2、046名が海没した。

オートジャイロを運用する対潜哨戒部隊として、船舶飛行第二中隊が編成された。(昭和十九年十二月三十一日に編成下令、昭和二十年一月四日に編成完結) 編制表は現存していないが、編制人員は以下のとおりだと言われている。通称号は船舶司令部の「暁二四九〇」を使用したようである。 母船を失った船舶飛行第二中隊は壱岐の筒城浜飛行場を、後には下対馬の下厳原飛行場、能登の松波飛行場根拠地として船団護衛・対潜哨戒にあたった。 残念ながら本部隊の戦果は報告されていない。


船舶飛行第二中隊編制人員
将校17
見習士官18
下士官57
177
合計269



以下のサイトは船舶飛行第二中隊の操縦者である元陸軍軍曹田畑義雄氏の貴重な証言である。
筒城浜基地に実戦配備された 船舶飛行第2中隊(オートジャイロ部隊)の消長



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Last Update 2013/01/10