東京湾要塞重砲兵聯隊



*本ページでは、場合によっては昭和二十年軍令陸甲第一三号(昭和二十年一月二十二日)を令甲13(S20.1.22)、 大陸命第一二九七号(昭和二十年四月八日)を命1297(S20.4.8)という風に略記します。



東京湾要塞重砲砲兵聯隊、東京湾要塞第一砲兵隊、東京湾要塞第二砲兵隊の編制を以下に示す。

■東京湾要塞重砲兵聯隊
東京湾要塞重砲兵聯隊は特臨編第一一号(昭和十六年十一月八日)にヨリ動員され同年十月二十四日に動員を完結した。 その後何度か編制改正を行った。2個大隊編制であったが令甲12(S20.1.22)により第三大隊を新設した。 令甲84(S20.5.23)により第三二一師団が動員されると、第三大隊はこれに配属された。
本聯隊の編制を以下に示す。火砲の種類は陸亜機密第四四号(昭和二十年一月二十二日)附表第三に拠った。また定員は同機密による編制基準である。

東京湾要塞重砲兵聯隊 編制
本部定員ハ昭和十七年軍令陸甲第七三号附表第四ニヨル (軍令ハ現存セズ)
第一大隊
(三浦半島に展開)
本部 将校   45
下士官 122
兵  1,175
第一中隊城ヶ崎砲台二十五糎加農砲 連装砲塔×2戦艦安芸ヨリ撤去
第二中隊剣崎砲台参式十五糎加農砲 連装砲塔×2
第三中隊千駄崎砲台七年式十加農砲×4
第四中隊走水第二砲台七年式十糎加農砲×4
中隊号ナシ千代ヶ崎砲台三十糎加農砲 連装砲塔×1戦艦鹿島ヨリ撤去
第二大隊
(房総半島に展開)
本部
第五中隊第一海堡克式十五糎加農砲 連装砲塔×2
第六中隊州ノ崎第一砲台三十糎加農砲 連装砲塔×1巡洋戦艦生駒ヨリ撤去
第七中隊大房岬砲台二十糎加農砲 連装砲塔×2巡洋戦艦鞍馬ヨリ撤去
第三大隊
(伊豆大島に展開)
本部
第八中隊九六式十五糎加農砲×2
第九中隊九六式十五糎加農砲×2
第一〇中隊二十八糎榴弾砲×2


■東京湾要塞第一砲兵隊
本部隊は令甲12(S20.1.22)により編成された。房総半島南部に展開して東京湾要塞重砲兵聯隊を補完した。

東京湾要塞第一砲兵隊 編制
本部将校 7、下士官 21、兵 44
第一中隊金谷砲台二十八糎榴弾砲×4将校  15
下士官 50
兵   450
第二中隊稲都砲台二十八糎榴弾砲×4
第三中隊洲ノ崎砲台八九式十五榴砲×2
第四中隊鴨川地区隊ニ配属三八式野砲×4


■東京湾要塞第二砲兵隊
本部隊は令甲12(S20.1.22)により編成された。神奈川県西部・伊豆半島を作戦地域とする第五三軍に配属された。

東京湾要塞第二砲兵隊 編制
本部将校 7、下士官 21、兵 44
第一中隊鎌倉二十八糎榴弾砲×2将校  10
下士官 35
兵   350
大磯二十八糎榴弾砲×2
第二中隊吉田(伊豆)四年式十五榴砲×2
第三中隊下田二十八糎榴弾砲×2




東京湾口の火網構成状況を以下に示す。
(毛塚五郎「東京湾要塞歴史」より)
ここには十五糎加農以上が記載されている。砲台名称および装備火砲は以下のとおりである。 Cの観音崎第四砲台には克式十五糎加農4門(図中では2門となっているが、これは誤り)が明治三十四年三月に設置されたとされているが、上述の陸亜機密第四四号には記載されていない。



東京湾岸砲台
砲台番号砲台名備 砲備 考
@城ヶ崎二十五糎加農連装砲塔×2
A剣崎十五糎加農連装砲塔×2
B千代ヶ崎三十糎加農連装砲塔×1
C観音崎第四克式十五糎加農×4日清戦争戦利品
D第一海堡克式十五糎加農連装砲塔×2
E金谷二十八糎榴×4東京湾要塞第一砲兵隊第一中隊
F大房崎二十糎加農連装砲塔×2
G洲ノ崎十五糎加農×2東京湾要塞第一砲兵隊第三中隊
H洲ノ崎第一三十糎加農連装砲塔×1






◇東京湾要塞重砲兵聯隊略史◇

■概要
東京湾要塞重砲兵聯隊の起源は明治二十三年に創設された要塞砲兵第一聯隊まで遡る。その後編制改正・改称を繰り返して昭和十六年の東京湾要塞重砲兵聯隊にまで至っている。 沿革の概要を以下に示す。

東京湾要重砲兵聯隊 沿革
名称備考
要塞砲兵第一聯隊明治二十三年三月二十九日編制表公布
平時東京湾要塞砲兵聯隊明治二十九年五月十九日
東京湾要塞砲兵聯隊明治三十二年十月二十八日改称
重砲兵第一・第二聯隊軍令陸乙第三号(明治四十年十月二十三日)
野戦重砲兵第一・第二聯隊軍令陸乙第五号(大正七年五月二十九日)
東京湾重砲兵聯隊大正八年十二月一日
横須賀重砲兵聯隊軍令陸乙第二六号(大正九年十月二十八日)
東京湾要塞重砲兵聯隊特臨編第一一号(昭和十六年十月八日)


■要塞砲兵第一聯隊
明治二十三年三月に制定された「要塞砲兵聯隊平時編制」および同年五月十六日の勅令第七九号により以下の要塞砲兵聯隊が創設された。

部隊防備箇所編成地
要塞砲兵第一聯隊東京湾横須賀
要塞砲兵第二聯隊紀淡海峡由良
要塞砲兵第三聯隊配備地域及ビ編成地ハ別途之ヲ定ム*
要塞砲兵第四聯隊下関海峡赤間関
* 明治二十九年ニ呉ヲ配備地トス


本聯隊の編制は明治二十三年三月二十九日に公布された編制表では第一大隊本部および3個中隊であったが、明治二十五年十二月の編制改正で最終的に2個大隊8個中隊編制となった。 要塞砲兵第一聯隊の編制表を以下に示す。火砲は二十八榴・二十四加・十二加が配備された。

■日清戦争時
日清戦争勃発と共に明治二十七年七月二十五日に臨時東京湾守備隊が編成され、要塞砲兵第一聯隊はその指揮下に配属された。 聯隊は八月一日に平時編制から戦時編制に移行した。同年九月十七日の黄海海戦で清国海軍は壊滅し東京湾来寇の恐れは無くなった。 砲兵部隊は臨時に攻城廠を編成し第二軍の作戦を支援することになった。攻城廠の編制は以下のとおりである。
   ・廠長(臨時徒歩歩兵聯隊長の兼務)
   ・臨時徒歩砲兵聯隊
   ・臨時攻城廠縦列
   ・臨時攻城工廠縦列
臨時徒歩砲兵聯隊は十月十日に動員が下令され、要塞砲兵第一聯隊および同第四聯隊(下関)を以て聯隊本部および2個大隊(6個中隊)が編成された。 聯隊は十一月中旬に遼東半島に上陸し旅順攻略戦・威海衛攻略戦に参加した。 翌年四月の休戦に伴い帰国し五月二十二日に復員を完結して平時編制に復帰した。

■(平時)東京湾要塞砲兵聯隊
明治二十八年三月三十日に勅令第三九号「要塞司令部条例」の制定に伴い、同年四月六日の達第六号により東京湾要塞司令部が新設された。 司令部の陣容は司令官中(少)将以下8名であった。日清戦争の勝利と共に要塞砲兵部隊も拡張された。 要塞第一砲兵聯隊〜第四砲兵聯隊は名称を変更、第一聯隊は明治二十九年五月十九日に平時東京湾要塞砲兵聯隊と改称され、第一師団の隷下に編入された。 明治三十二年十月二十八日の送乙二九四五号「陸軍平時編制改正]により「平時」の呼称は廃止され、名称は東京湾要塞砲兵聯隊となった。本聯隊の編制を以下に示す。

この時期、要塞砲兵も拡充に伴い名称が変更された。明治三十三年頃の常設部隊は以下のとおりであった。

部隊編制
東京湾要塞砲兵聯隊5個大隊15中隊
由良要塞砲兵聯隊4個大隊12中隊
呉要塞砲兵聯隊2個大隊6中隊
芸与要塞砲兵聯隊(後に広島湾要塞砲兵聯隊に改称)3個大隊9中隊[後に(1個大隊)3個中隊まで縮小]
下関要塞砲兵聯隊4個大隊12中隊
佐世保塞砲兵聯隊2個大隊6中隊
函館塞砲兵聯隊2個中隊
舞鶴塞砲兵聯隊3個中隊
基隆塞砲兵聯隊2個中隊
膨湖島塞砲兵聯隊3個中隊
対馬塞砲兵聯隊3個中隊

火砲は二十八榴・二十四加・十五臼・九臼等が配備された。


送乙第一五五〇号(明治三十五年六月)により砲兵部隊の編制が改正された。 従来の徒歩砲兵部隊は「甲大隊」と呼称され、これに「乙大隊」である繋駕砲兵部隊が加わった。 甲隊、乙隊とも3個中隊編制である。 他の部隊では例えば広島湾要塞砲兵聯隊は1個甲大隊・1個乙大隊、下関要塞砲兵聯隊では3個甲大隊・1個乙大隊であった。
送乙達一五五〇号による東京湾要塞砲兵聯隊の編制を以下に示す。

明治三十六年十一月の送乙第七三九号による編制改正では甲大隊が1個廃止され、乙大隊の中隊番号がその分繰り上がった。

■日露戦争時
日露開戦を決意した明治三十七年に各要塞に「本戦備」あるいは「緊急戦備」が下令された。 東京湾要塞砲兵聯隊から以下の野戦砲兵部隊が動員された。
 ・徒歩砲兵第一聯隊(2個大隊8個中隊編制)
 ・徒歩砲兵独立第一大隊(2個中隊編制)

日露戦争集結とともに明治三十九年三月に要塞砲兵部隊も平時編制に復帰した。 東京湾要塞砲兵聯隊も甲大隊3個・乙大隊1個の編制に戻ったが、甲大隊に馬匹を配当して将来乙大隊に編制改正するための準備とした。


■重砲兵第一・第二聯隊
令乙3(M40.10.23)により要塞砲兵部隊に大幅な改正が加えられた。 従来の要塞砲兵聯隊は重砲兵聯隊と改称され、重砲兵聯隊が2個創設された。 これらの重砲兵聯隊は新設された重砲兵第一旅団司令部・第二旅団司令部の下に以下のように編合された。


重砲兵第一旅団司令部
(横須賀)
重砲兵第一聯隊東京湾要塞砲兵聯隊
重砲兵第二聯隊新設
重砲兵第二旅団司令部
(下関)
重砲兵第三聯隊由良要塞砲兵聯隊
重砲兵第四聯隊広島湾要塞砲兵聯隊
重砲兵第五聯隊下関要塞砲兵聯隊
重砲兵第六聯隊新設


重砲兵第一聯隊・第二聯隊の編制は同一である。これを以下に示す。編制上乙隊が主力を占めるようになった。



■第一次世界大戦
青島攻略のため攻城砲兵司令部の下に
野戦重砲兵聯隊2個(繋駕編制)
  独立攻城重砲兵大隊4個(徒歩編制)
  独立攻城重砲兵中隊1個(徒歩編制)
が動員された。


■野戦重砲兵第一・第二聯隊
令乙5「平時編制改正」(T7.5.29)により重砲兵第一・第二聯隊を野戦重砲兵第一・第二聯隊に改編した。 各聯隊の編制は旧のままであった。 これに伴い重砲兵第一旅団司令部・第二旅団司令部は野戦重砲兵第一旅団司令部・第二旅団司令部に改編された。


■東京湾重砲兵聯隊
第一次世界大戦での欧州戦線での戦訓に基づき、重砲兵部隊の改編が行われた。 これは要塞砲兵(甲隊)と野戦重砲兵(乙隊)とを分離するものである。
@ 乙隊(繋駕)を分離して野戦重砲兵として独立させた。
A 甲隊(徒歩)は重砲兵として要塞に配備した。
令乙5により重砲兵第一・第二聯隊では乙隊各4個中隊を基幹として野戦重砲兵第一・第二聯隊が編成された。 また抽出された甲隊2個中隊および廃止される芸予重砲兵大隊の2個中隊を基幹として東京湾重砲兵聯隊が編成された。 東京湾重砲兵聯隊の編成手順は送達第166号「大正七年軍備充実実施要領」(T7.6.1)により示された。 この編制改正は大正八年十二月一日に完結した。


令乙3(M40.10.23)により編成された6個重砲兵聯隊と廃止される芸予・長崎の重砲兵大隊の甲隊を 整理統合して以下の重砲兵部隊が編成された。


要塞砲兵聯隊東京湾(2個大隊・4個中隊編制)
由良(2個大隊・6個中隊編制)
独立要塞大隊下関、佐世保、対馬(3個中隊編制)
函館、舞鶴、鎮海湾、旅順、基隆、膨湖島(2個中隊編制)

■横須賀重砲兵聯隊(その1)
令乙26「平時編制改正」(T9.10.28)により、従来は要塞名を冠していた部隊名に地名を冠するようになった。 これにより東京湾要塞重砲兵聯隊は横須賀重砲兵聯隊に改称された。 同年十二月から編制改正に着手し、大正十六年二月に編制改正完結の予定であった。 この編制改正で編制は2個大隊6個中隊とされ、第三・第六中隊は当面「欠」とされた。 令乙12「平時編制改正」(T7.7.28)により深山重砲兵聯隊の第三大隊が建制のまま第三大隊として編入された。

その後令乙18「陸軍兵事編制の全面改正」(S11.5.30)および令乙19「昭和十一年度軍備改変要領」(同日) による編制表要約を以下に示す。

この頃の重砲兵部隊は以下のとおりであった。

重砲兵聯隊横須賀(3個大隊・6個中隊編制)
深山(2個大隊・4個中隊編制)
下関(2個大隊・6個中隊江編制)
独立重砲兵大隊佐世保、鶏知(3個中隊編制)
函館、舞鶴、馬山、旅順、基隆、馬公(2個中隊編制)

火砲としては以下を装備した。
 ・攻守城砲: 四五式十五加、四五式二十四榴、三八式十加
 ・海岸砲: 二十八榴、二十四加

昭和十三年五月に阿城重砲兵聯隊が満州国賓江省阿城にて編成された。 以下に示される編制表のとおり第三大隊は横須賀重砲兵聯隊で編成され、第三大隊が抽出された。 派遣部隊は五月四日横須賀を発し、五月十二日に阿城に到着した。 関特演を機に第三大隊から独立重砲兵第四大隊および同第五大隊が動員された。 後者は満州に留まったが前者は昭和十九年八月に比島に派遣され実践に参加した。 横須賀重砲兵聯隊に関しては第三大隊の欠員状態は昭和十五年まで続いた。


■支那事変
昭和十二年七月七日の盧溝橋事件勃発後同二十七日に横須賀重砲兵聯隊に対して独立攻城重砲兵第一大隊の動員が下令された。 編制は大隊本部、大隊観測班、八九式十五加2個中隊(計8門) および大隊段列であった。 大隊は北支から中支を転戦し、昭和十四年一月に原隊に復帰した。

その他の動員部隊として以下あった。
 ・独立攻城重砲兵中隊(昭和十二年八月三十日編成完結):試製九六式重迫撃砲×1 【昭和十三年三月原隊復帰】
 ・独立攻城重砲兵第一〇大隊(昭和十二年十二月編成下令):十五臼中隊2個編制(各中隊4門計8門) 【昭和十三年五月原隊復帰】
 ・独立攻城重砲兵第一一大隊(昭和十三年九月十九日第二一軍戦闘序列に編入):十五臼中隊3個編制(各中隊4門計12門) 【昭和十四年二月九日迫撃砲第二〇大隊に改編】

■ノモンハン事変
ノモンハン事件の拡大に備えて独立攻城重砲兵第一〇中隊(第二代)が軍令陸甲第三四号(昭和十四年九月四日)により下令された。 装備火砲は九六式十五加2門で自動車化(九五式十三屯牽引車9輌、九四式三屯被牽引車4輌)されており、編制定員は172名であった。。 中隊は九月十八日に大連まで進出したがノモンハンへの移動準備中に停戦となり、装備を関東軍野戦兵器廠(奉天)に返納して帰国した。


■横須賀重砲兵聯隊(その2)
令甲19「平時編制改正」(S15.7.10)および令甲20「軍備改変要領」(同日)により編制を改正され4個大隊・8個中隊編制となった。


■東京湾要塞重砲兵聯隊
特臨編第一一号(昭和十六年十月八日)により要塞重砲兵聯隊が動員された。 要塞重砲兵の編制には昭和十六年陸軍動員計画令[令甲55(S15.11.22)]で規定された5種類があった。 これを以下に示す。東京湾要塞重砲兵聯隊は「甲聯隊」であった。 以下の表には編制人員表で辿ることができた要塞重砲兵聯隊を記入している。
<<<<
甲聯隊(其一)

東京湾要塞重砲兵聯隊
対馬要塞重砲兵聯隊
壱岐要塞重砲兵聯隊
下関要塞重砲兵聯隊
奄美大島要塞重砲兵聯隊
鎮海要塞重砲兵聯隊
甲聯隊(其二)
乙聯隊(其一)



由良要塞重砲兵聯隊
乙聯隊(其二)

津軽要塞重砲兵聯隊
長崎要塞重砲兵聯隊
豊予要塞重砲兵聯隊
丙聯隊

基隆要塞重砲兵聯隊
高雄要塞重砲兵聯隊
丁聯隊



宗谷要塞重砲兵聯隊
戊聯隊(其一)
戊聯隊(其二)

舞鶴要塞重砲兵聯隊
麗水要塞重砲兵聯隊
中城湾要塞重砲兵聯隊(沖縄本島)
船浮要塞重砲兵聯隊(西表島)

東京湾要塞に関しては横須賀重砲兵聯隊から東京湾重砲兵聯隊および横須賀重砲兵聯隊補充隊とが動員された。

戦争の進捗と共に多くの要塞重砲兵聯隊が重砲兵聯隊に改変された。これを以下に示す。 重砲兵聯隊の編制・装備は元となった要塞重砲兵聯隊に拠っていたので、聯隊によって様々であった。



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Last Update 2015/03/15