第三六師団編制

支那事変に際して大陸本土での兵力不足を補うため、三〇番台師団が臨時編成された。 これらの編制は「丙編制」と呼ばれた。 「丙編制」は戦闘力は常設師団(「甲編制」)・特設師団(「乙編制」)に準じていたが  行李・段列を欠き機動性はこれらに劣った。 第四〇・第四一師団は四〇番台であるが、編制は三〇番台師団のものである。

第三二師団丙編制(野砲)昭和十四年軍令陸甲第六号
(昭和十四年二月七日)
第三三師団丙編制(山砲)
第三四師団丙編制(野砲)
第三五師団丙編制(野砲)
第三六師団丙編制(山砲)
第三七師団丙編制(山砲)
第三八師団丙編制(山砲)昭和十四年軍令陸甲第二一号
(昭和十四年六月三十日)
第三九師団丙編制(野砲)
第四〇師団丙編制(山砲)
第四一師団丙編制(山砲)


師団の編制は以下のように分類されていた。
   甲編制: 常設師団(平時から常置された師団)
   乙編制: 特設師団(常設師団から編成された師団)
   丙編制: 臨時編成師団(支那事変に際して臨時に編成された師団)
   丁編制: 治安師団(警備目的に編成された師団。砲兵聯隊を有さない)


第三六師団の場合の編合は以下のとおりであった。

第三六師団編合(1)
第三六師団司令部
第三六歩兵団司令部
  歩兵第二二二聯隊
     本部1、大隊3、歩兵砲隊1、通信隊1
  歩兵第二二三聯隊
  歩兵第二二四聯隊
捜索第三六聯隊
   本部、乗馬中1、乗車中1、装甲車中1
山砲兵第三六聯隊
   本部、3大隊9中隊
工兵第三六聯隊
   本部、3中
第三六師団通信隊
   有線2小、無線1小
輜重兵第三六聯隊
   本部、車輌中2、自動車中1
第三六師団野戦病院
第三六師団病馬廠


三〇番台師団のうちの5個師団は昭和十八年に入って編制改正が行われた。 編制改正前後の編制概要は以下のとおりであった。 第三四師団・第三五師団・第四〇師団は砲兵聯隊を廃止してしまい、「丁編制」となった。 第三五師団は後に豪北に派遣されることになるが、 その際大陸命第九五七号(昭和十九年三月二日)にて砲兵部隊として 独立山砲兵第四聯隊を編合に追加されている。

三〇番台師団の編制改正
師団編制概要
(編改前)
編制概要
(編改後)
備 考
第三四師団歩三聯九大
砲聯三大
工聯三中
歩三聯九大
砲聯廃止
工兵隊一中
昭和十八年陸甲第一一号
(昭和十八年二月五日)
第三五師団
第四〇師団
第三七師団歩三聯九大
砲聯六中
工聯二中
昭和十八年陸甲第三六号
(昭和十八年五月一日)
第三九師団


以下は昭和十八年八月初頭の支那派遣軍兵力を纏めたものである。 対ソ戦が発生した場合の運用に応じて編制(戦力)により「甲師団」・「乙師団」・「丙師団」と区分している。 これらは前述の「甲編制」〜「丁編制」と紛らわしいが、その区分は以下のとおりである。
  甲師団: 一次戦力として投入される師団
  乙師団: 二次戦力として投入されるか中国で機動的に運用される師団
  丙師団: 後方警備を行う、いわゆる「治安師団」であるが、この編制には
     歩兵聯隊3個
     旅団2個8個独立歩兵大隊
の二種類があった。
上記区分は前述の「甲編制」〜「丁編制」とは異なるものである。 以下の表の「甲師団」・「乙師団」について編制の分類を追記した。(例えば「乙(野)」は「乙編制(野砲)」の略)
支那方面作戦記録 支那派遣軍ノ統帥 復員局 昭和二十四年八月

昭和十八年八月初頭ニオケル支那派遣軍兵力配置
師団編制概要所  属合計
北支那方面軍11A13A23A
1A12A駐蒙軍
甲師団歩三聯九大
砲聯三大
工聯三中
36D
丙(山)
32D
丙(野)
3D
甲(野)
13D
乙(山)
116D
乙(野)
乙師団歩三聯九大
砲聯六中
工聯二中
37D
丙(山)
26D
丙(野)
39D
丙(野)
22D
丙(山)
104D
乙(山)
丙師団其一歩三聯九大
工兵隊一中
110D*35D34D
40D
61D
其二歩二旅八大
工兵隊一中
63D62D
69D
59D58D
68D
60D、64D
65D、75D
10
*第一一〇師団は特設師団(乙編制)であるが、おそらく昭和十八年陸甲第三六号(昭和十八年五月一日)による編制改正で砲兵聯隊を廃止している。同師団は昭和二十年軍令陸甲第一〇六号(昭和二十年七月十日)により砲兵隊を編合に追加した。

昭和十八年軍令陸甲第九五号(昭和十八年十月二十日)により第三六師団は「海洋編制師団」に改変された。 残念ながらこの軍令は現存していないので、「海洋編制師団」の編制が完全に分かっている訳ではない。 以降は軍令以外の史料による第三六師団の編制の概要であるが、これらは主として山下義之 「支那事変大東亜戦争における師団の編制」 に拠った。 「海洋編制師団」としての第三六師団の編合を以下に示す。

第三六師団編合(2)
第三六師団司令部
歩兵第二二二聯隊B聯隊
歩兵第二二三聯隊A聯隊
歩兵第二二四聯隊A聯隊
第三六師団戦車隊中部軍司令官管理ニテ日本デ臨時動員
第三六師団通信隊
第三六師団輜重隊輜重兵第三六聯隊ヲ基幹トシテ臨時動員
第三六師団海上輸送隊独立工兵第五七大隊ヲ基幹トシテ臨時動員
第三六師団兵器勤務隊
第三六師団経理勤務隊
第三六師団野戦病院


ここで
  A聯隊: 要地確保反撃に任ずる聯隊
  B聯隊: 海上機動反撃に任ずる聯隊でA聯隊より重装備の諸兵科連合部隊
以下の部隊は復帰した。
  第三六歩兵団司令部
  捜索第三六聯隊
  山砲兵第三六聯隊(歩兵聯隊の砲兵大隊編成の基幹に充用して復員)
  工兵第三六聯隊(歩兵聯隊の工兵中隊・作業中隊編成の基幹に充用して復員)
  輜重兵第三六聯隊(師団輜重隊・歩兵聯隊の補給中隊編成の基幹に充用して復員)
  第三六師団衛生隊(歩兵聯隊の衛生隊編成の基幹に充用して復員)
  第三六師団第一野戦病院(師団野戦病院編成の基幹に充用して復員)
  第三六師団病馬廠

第三六師団主力(歩兵第二二二聯隊を除く)は2梯団(上海から)および戦車隊(日本から)に分かれて西部ニューギニアに輸送された。
  第一梯団(師団司令部、歩兵第二二三聯隊、支援部隊主力)
    昭和十八年十一月二十三日 呉淞発
           十一月二十六日 高雄入港
           十一月二十九日 高雄発
           十二月三日 マニラ着
           十二月十日 マニラ発
           十二月十二日 セブ着
           十二月十五日 セブ発
           十二月二十五日 サルミ着
  第二梯団(歩兵第二二四聯隊、支援部隊残部)
    昭和十八年十一月二十七日 呉淞発
           十二月二日 佐伯入港
           十二月五日 佐伯発
           十二月十九日 パラウ着
    昭和十九年一月十一日 パラウ発
           一月十五日 サルミ着
  戦車隊
    昭和十八年十一月六日 門司発
           十二月二十五日 サルミ着
昭和十九年、米軍は四月二十二日にアイタペに、五月十七日にサルミ地区東方のトムに上陸上陸した。 師団主力はサルミに上陸して来た米軍と交戦したが同年六月以後から戦闘は膠着状態となり、 師団はそのまま終戦を迎えた。

 

以下に第三六師団の各部隊の編制表要約を示す。 馬匹は編制表に含まれているが、師団の南方への移動に際し、原駐地に残置された。


【司令部】
第三六師団司令部の編制は「昭和十六年度陸軍動員計画令」の附表第五に基づく。但し獣医部を欠いている。

【A聯隊】
A聯隊は占領した島嶼の防衛にあたる聯隊である。第三六師団では歩兵第二二三聯隊・第二二四聯隊がこの編制をとった。
A聯隊の主要装備は以下のとおりで、復帰した山砲兵第三六聯隊の装備である山砲を有していた。
    軽機関銃  108
    重擲弾筒  112
    重機関銃   18
    速射砲      6
    大隊砲      6
    山砲       12

A聯隊の編制表要約を以下に示す。 補給中隊は第三六師団輜重隊を改変したもので、労務作業のための兵補500名を擁する。 「兵補」というのは占領地の現地人を雇用したもので、身分は軍属に準じた。



【B聯隊】
B聯隊は占領された島嶼への逆上陸を含む海上機動反撃にあたる聯隊であり、その目的のためA聯隊より重装備を有していた。 第三六師団では歩兵第二二二聯隊がこの編制をとった。B聯隊の主要装備は以下のとおりであった。
    軽機関銃  108
    重擲弾筒  108
    重機関銃   18
    自動砲      9
    曲射砲     18
    機関砲      6
    速射砲      6
    山砲       36
    軽迫撃砲     6
    軽戦車      9

B聯隊の編制表要約を以下に示す。作業小隊とは戦闘工兵より成る小隊である。

第三六師団が配備されていた中国大陸からの歩兵第二二二聯隊の移動は以下のとおりであった。
    昭和十八年十一月二十三日 呉淞発(建和丸乗船)
           十一月二十七日 高雄入港
           十一月二十九日 高雄発
           十二月四日 マニラ着
           十二月十日 マニラ発
           十二月十二日 セブ着
           十二月十五日 セブ発
           十二月十九日 ハルマヘラ着
十二月二十日第二軍軍命令により第三六師団の指揮下を離れて第二軍直轄となり配属部隊を含めビアク支隊を編成した。 ビアク支隊の編成(ここで「編成」とは「構成」の意味)は以下のとおりであった。
歩兵第二二二聯隊は以下のように十二月二十五日から二十七日にかけてビアク島に上陸した。
           本部、第一大隊・第三大隊 ボスネック
           第二大隊 バライ
第二軍の作戦構想ではビアク島の歩兵第二二二聯隊の任務はニューギニア本島サルミ地区に米軍が上陸した場合のその背後からの逆上陸であった。 ビアク島は絶対国防圏から外れたが、第二方面軍はこれを絶対国防圏に準ずる要地として確保するため飛行場の設定および野戦築城を命じた。 ビアク島に25,000名の米軍が上陸を開始したのは昭和十九年五月二十七日であった。ビアク支隊はよく善戦してこれを食い止めていた。 連合艦隊は最終的には戦艦「大和」・「武蔵」を投入することになるビアク島への増援「渾作戦」を発動していた。 しかし六月十一日に米機動部隊のマリアナ来寇が確定的になり、これへの対応のため「渾作戦」は中止されビアク島への増援は見送られた。 ビアク支隊は上陸した米第41歩兵師団長ホレース・ヒューラー少将を更迭に追い込むまで善戦したが増援が望めない状況で組織的抵抗は収束していった。 支隊長葛目直幸大佐が自決したのは七月二日、米軍がビアク島作戦の終結を宣言したのは八月二十日であった。

ビアク支隊編成
支隊長 葛目直幸大佐25
歩兵第二二二聯隊(第五・第九中隊欠)約3、500名
配属部隊
     第三六師団通信隊第三分隊20名
     第三六師団輜重隊の一部25名
     第三六師団海上輸送隊の一部300名
     第三六師団野戦病院の一部163名
     第三六師団防疫給水部の三分の一33名
     第三六師団経理勤務隊の一部61名
     第二軍築城部の一部27名
     野戦高射砲第四九大隊第三中隊100名
     電信第二四聯隊第一中隊第三小隊65名
     第一四師団海上輸送隊第三中隊主力および第一中隊一部325名
     第一七野戦飛行場設定隊639名
     第一〇七野戦飛行場設定隊146名
     第一〇八野戦飛行場設定隊106名
     独立自動車第二四八中隊第一小隊約50名
     特設建築勤務第五〇中隊の一部不詳名
     特設建築勤務第六九中隊不詳名
     特設陸上勤務第四一中隊53名
     野戦作井第五中隊約100名
     第五移動製材班38名
     第一二移動製材班41名
     患者輸送第八七小隊53名
     第二軍野戦兵器廠支廠110名
     第二軍野戦自動車支廠33名
     第二開拓勤務第二中隊1,482名
     マラリヤ防疫班の一部不詳名
     第一〇野戦憲兵隊の一部不詳名
     以上合計後方勤務部隊約3、800名および兵補約3、000名
     航空関係部隊(隊号・人数不詳)
     海軍部隊約2、000名
総合計 約12、800名


【戦車隊】

戦車隊の定数には誤認がある。 第三一軍司令部から捕獲した文書に基づく米軍の調査では
   各小隊:   軽戦車4輌
   整備小隊: 軽戦車1輌
である。

   

【通信隊】

【輜重隊】

【海上輸送隊】

【兵器勤務隊】

【経理勤務隊】
軍需品特に糧秣の生産・集積補給、被服の修理、建築勤務、その他労役等の緒勤務に任ずる。 原住民から成る兵補2、000名を擁する。

【野戦病院】

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Last Update 2014/09/05