航空関係官衙

【陸軍航空部】
 陸軍航空部は大正八年勅令第一一一号「陸軍航空部令」(大正八年四月十二日)により同年四月十五日に 発足した。陸軍航空部は本部および補給部より成り、陸軍大臣に隷属して調査研究・教育機能を有すると同時に 航空機材に関する現業機関であった。 発足当時の編制定員は50名である。 「陸軍航空部令」には 「陸軍大臣ハ必要ニ応シ補給支部ヲ置クコトヲ得」とあり、それに従い所沢と各務原とに支部を開設した。  軍政機関の陸軍省の内局である陸軍航空部が教育機能を有することについては、「軍隊教育は軍令事項であるので、 教育を所管するのも軍令機関であるべき」というスジ論から特に教育関係者から反発があった。そのため航空教育は 陸軍教育総監の所管となりかかったが、地上兵科と事情が異なり航空機材の整備と特に密接な関係が あるということで陸軍航空部が所管することになった。昭和十三年には陸軍航空総監部が設立されて航空教育を 所管することになるが、その経緯はこのように陸軍航空部発足まで遡るものであった。



【陸軍航空本部】
 陸軍航空本部は大正十四年勅令第一四九号「陸軍航空本部部令」(大正十四年四月二十八日)により同年 五月一日に発足した。これと同時に陸軍航空部は廃止された。陸軍航空本部は陸軍省の内局で、陸軍航空に関する事項の 調査研究試験および立案、航空兵諸軍隊の専門教育の斉一進歩、航空に関する器材の審査およびその制式の統一 ならびに、修理、購買、貯蔵、補給および検査を掌った。



 昭和十年八月、昭和十年勅令第二二一号「陸軍航空本部中改正」(昭和十年七月二十九日)により航空本部の編制が 改正された。 これは下図に示すように補給・技術の現業部門を陸軍航空廠・陸軍航空技術研究所に分離独立させた ものである。非現業部門は総務部・第一部(教育)・第二部(補給・技術)より構成され、 依然陸軍省内局のままであった。



 昭和十一年七月、昭和十一年勅令第二一二号「陸軍航空本部中改正」(昭和十一年七月二十四日)により 陸軍航空本部は陸軍省の外局となった。

 昭和十二年七月、昭和十二年勅令第三七三号「陸軍航空本部中改正」(昭和十二年七月三十日)により 航空本部の編制が改正されて経理を担当する第三部が加えられ、予算に関して従来の航空兵器・機材・燃料の他 に航空用土地・建造物等の予算も取り扱えるようになった。航空本部の編制定員はこの時点では177名であった。

 昭和十三年十二月の航空総監部設立に伴い、陸軍航空本部も編制が改正されて教育機能が陸軍航空総監部 に移管された。 この時の陸軍航空本部の編制は【陸軍航空総監部】の項に示されるとおりである。

 昭和十七年には昭和十七年軍令陸乙第二七号(昭和十七年十月七日)により陸軍航空総監部とともに編制の改正 が行われた。これを以下に示す。編制定員は238名である。

 また、昭和二十年軍令陸乙第九号(昭和二十年四月十三日)による航空総監部閉鎖に伴い、 陸軍航空本部も編制が改正されて臨時編成部隊となり、教育機能は陸軍航空本部に戻された。 この結果、陸軍航空本部の業務は教育および航空兵器の研究・生産となった。昭和二十年軍令陸甲第五四号 (昭和二十年三月三十一日)により航空総軍司令部が編成されたが、作戦と修理・補充を一体化するため、 陸軍航空本部の部長・多くの部員が航空総軍司令部との兼務であった。 両者の編制を以下に示す。

陸軍航空本部の終戦時の編制は以下のとおりであった。


 陸軍航空本部の所管する機関は以下のとおりであった。
      ◆教育機関
         陸軍航空士官学校
         立川教導航空整備師団
            〔立川陸軍航空整備学校を母体として
             昭和十九年軍令陸乙第二九号(昭和十九年六月十三日)にて編成〕
         水戸教導航空通信師団
         加古川教導航空通信団
            〔陸軍航空通信学校を母体として
             昭和二十年軍令陸乙第一五号(昭和二十年四月二八日)にて編成〕
         教導飛行師団
            〔明野教導飛行師団〜宇都宮教導飛行師団を母体として
             昭和二十年軍令陸甲第一〇三号(昭和二十年七月十日)にて編成〕
      ◆航空兵器研究・生産機関
         第一〜第八陸軍航空技術研究所
         多摩陸軍技術研究所
         陸軍電波兵器練習部
         陸軍航空審査部
         陸軍航空適正検査部
         陸軍航空工廠
 また、陸軍航空本部長隷下の以下の機関は航空総軍に移管された。
      ◆航空廠
         立川陸軍航空廠
         各務原陸軍航空廠
         太刀洗陸軍航空廠
         宇都宮陸軍航空廠
         大阪陸軍航空廠
         平壌陸軍航空廠
      ◆航空補給廠
         東京陸軍航空補給廠
         大阪陸軍航空補給廠

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【陸軍航空総監部】
 大正十四年の航空兵科独立以来、航空兵科教育も含む航空行政は陸軍航空本部の所管であったが、 それについて不都合が出るようになってきた。表面的には航空兵科教育については天皇直隷の航空兵団司令官 が陸軍大臣(天皇直隷)隷下の、いわば「格下」の陸軍航空本部長の区処を受けるという点である。 この回避策として以前陸軍航空本部から提案された陸軍航総監部が設置されることになり、 陸軍航空本部の教育機能が陸軍航空総監部に移管された。 陸軍航総監部は昭和十三年軍令陸第二一号 「陸軍航空総監部令」*(昭和十三年十二月七日)により設立された。  初代陸軍航空総監は陸軍次官・陸軍航空本部長を兼務していた東条英機中将(当時)17であった。 陸軍航空総監は天皇直隷であるが、軍政に関しては陸軍大臣の、動員・作戦に関しては陸軍参謀総長の、 教育に関しては陸軍教育総監の区処を受けるという、前述「陸軍三長官」の一段格下という立場であった。  陸軍航空総監は陸軍航空本部長との兼務で、陸軍航空総監部総務部・教育部の部員も下図に示されるように 陸軍航空本部総務部・第一部との兼務であった。


  *「陸軍航空総監部令外関係諸条規ノ制定並ニ改正ノ件」
    JCAHR Ref No C01004562200(アジア歴史資料センター資料番号)

 陸軍航空本部の編制表は上記 JCAHR Ref No C01004562200 の第83ページ、陸軍航空総監部の編制表は第84ページ に示されている。これを書き下すと以下のようになる。陸軍航空総監部の編制は陸軍航空本部の総務部および第一部の 編制とほぼ一致していた。これを「二位一体」という。「二位一体」とは陸軍の組織に関して、しばしば出てくる用語 である。陸軍航空総監部の教育部職員全員は陸軍航空総監部教育部を本務として陸軍航空本部第一部を兼務としていた。 また、陸軍航空本部総務部の職員は「陸軍航空総監部編制表」の備考にある副官少佐(大尉)1名および部員少佐2名を 除いた全員が陸軍航空本部総務部を本務として陸軍航空総監部総務部を兼務としていた。言い換えれば、陸軍航空総監部を 創設するために新たに必要な人員は副官少佐(大尉)1名および部員少佐2名だけであった。



 昭和十七年には昭和十七年軍令陸乙第二七号(昭和十七年十月七日)により陸軍航空本部とともに編制の改正 が行われた。 この時の陸軍航空総監部の編制は【陸軍航空本部】の項に示されるとおりで、 編制定員は94名であった。

 昭和十九軍令陸甲第一〇八号(昭和十九年八月七日)により教導航空軍司令部が臨時動員された。教導航空軍司令官は 陸軍航空総監との兼務で、幕僚は陸軍航空総監部の総務部・教育部と兼務であった。また教導航空軍司令部は兵器部・経理部 等の各部を欠いていたが、幕僚は陸軍航空総監部(つまり陸軍航空本部)との兼務だったので実務上は問題無かった。 教導航空軍司令部は昭和十九年軍令陸甲第一六五号(昭和十九年十二月二十一日)により復帰した。

 航空総軍司令部の編成と共に昭和二十年軍令陸乙第九号(昭和二十年四月十三日)により陸軍航空総監部は閉鎖され、 以下の陸軍航空総監隷下の機関は航空総軍に移管された。
      ◆学校
        仙台陸軍飛行学校
        岐阜陸軍飛行学校
        陸軍航空技術学校
        東京陸軍航空学校
        東京陸軍少年飛行兵学校
        東京陸軍少年飛行兵学校大分教育隊
        大津陸軍少年飛行兵学校
        大分陸軍少年飛行兵学校
      ◆教導飛行師団・教導飛行団
        下志津教導飛行師団 (偵察)
        明野教導飛行師団 (戦闘)
        常陸教導飛行師団 (戦闘)
        鉾田教導飛行師団 (軽爆)
        浜松教導飛行師団 (重爆)
        宇都宮教導飛行師団 (航法)
        三方原教導飛行団(化学戦)
昭和二十年軍令陸乙第九号では同時に陸軍航空本部の編制改正が行われた。 この時の陸軍航空本部の編制は【陸軍航空本部】の項に示されるとおりである。


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Last Update 2010/12/01